ワタシ

Ray Nobuhara

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photo by Anju Lukose-Scott

CONTENT WARNING: BULLYING

スーツケース一つで日本を離れた私の両親がふと窓の外を見ると、宝石箱をひっくり返したようなキラキラした街が見えた....。20年前、私の両親はアメリカNYに移住してきたのだ。

そして慌ただしく月日は経ちNYの生活にも慣れてきた頃、私はNYの病院で生まれた。両親が日本人だった為、学校に行くまでは日本語のみで不自由なく過ごしていた。

ただ、幼稚園へ通い始めても私は英語を習得していなかった為、学校にいる間は何も話さず学校カウンセラーからはこの子は言葉が話せないのではないかとか、何か治療が必要ではないかとか言われ、毎日のように親が学校に呼び出されるようになった。友達など出来る訳がなく、お昼休みも校庭のベンチに仰向けに寝そべりいつも一人で空をボーッと見ていた。校庭の同級生を見て、「いいなぁ。いつか私もあんな友達欲しいな。」とずっと思っていた。一度、私は勇気を出して日本語で一緒に遊ぼうと言ったが、無視をされたのだった。

小学校へ入学しても英語は上手くならず、ニュアンスだけで先生の話を聞いて、自分が分かっている少ない単語をただ並べて話する事が精一杯で、学校の授業にもついていけず、学校から帰ると毎日悔しくて泣いていた。もしかしたら私は変な子なのかもしれないと自分を責め始めていた。

だが、そんなある日のこと、人生を変えることが起こった。それは小学二年生の時だ。通訳を通じIQテストを行った。その結果が高かったため、優秀な生徒のためのプログラム”Gifted”に入ることが出来たのだ。私はやっと皆と同じ普通の子供になれたと思いとても嬉しかった。

新しいクラスに入るとそれぞれの英語の理解度を先生が把握するためにリーディングテストが行われた。先生から渡された本はあまりに難しすぎて、レベルが低いと言われた。今までに私くらい英語が読めない生徒はいなかったらだ。あまりに低いレベルだったのでもう一度テストをされた。そして、先生に、「本は隣のクラスから借りてくるように」と言われた。私のレベルに合っている本はこの特別なクラスに置いていなかったからだ。

私は悔しいのと隣のクラスに一人で行かなければならない恥ずかしさで涙が溢れ出してきそうなのを堪えた。でも、ここからが私の努力の始まりだった。それからは英語を猛勉強した。母と一緒に英語の単語を少しづつ覚えていった。毎週本一冊は読むことを心掛けた。そして、ドラえもんやサザエさんなどの日本のアニメではなく、ミステリー・グースバンプスやアドベンチャー・タイムなどのアメリカの番組を見始めた。家の近所にある教会のフリースクールにも通い始め、学校の宿題や本を声に出して読んで聞いてもらったりしていた。そんなことを毎日しながら半年、一年、と時間がすぎていったがあまり成績には現れなかった。だけど、私は諦めなかった。

諦めず頑張った結果が徐々に出始めたのは一年半くらいあとだった。そして小学校を卒業する頃には特別プログラムの生徒の上位にまで成績が上がる事ができた。この経験から勉強する楽しさと同時に人生は努力が必要ということを学んだと思う。

そして今私がここにいる。今の私は人の役に立ちたいと思うようになった。そして医師になりたいという夢を持ってワクワクしながら大学を目指している。

自分の夢をかなえるために。